被告の主観が判決に影響する???

Winny事件判決で考える内面の問題:ITpro
Winny裁判で、作者である金子氏に対して「有罪」という判決(控訴中ですが・・・)が下ったのは、法理論からすれば当然のことであるという論です。

あらためて考えてみれば,主観的な判断が重要な役割を果たすのは,裁判では当たり前のことなのだろう。例えば,明確な意図にもとづいて人を殺せば「殺人罪」,傷つけるだけのつもりが誤って死に至らせたら「傷害致死罪」である。この場合も,被告の内面は犯行前の行動や言動といった客観的な材料にもとづいて,主観的に判断するしかない。

確かに、裁判においては「故意」の存在が重要な要素になるわけですが、人間の内面なんてものは本人以外知りようがないわけです。ですので通常は便宜的な方法(具体的な言動や行動からの推測)に頼ることになります。
金子氏はWinny著作権侵害のための道具として使われることを黙認、というよりも積極的に追認するような言動を取っていたため、有罪と判断されたということでしょう。
なんだか論点のすりかえのような気もしますが、製造物責任という観点からはもっと厳しい措置(製造者の意図しない利用方法によって損害を被った場合も賠償責任が発生する)が取られていますので、ソフトウェアの世界もより厳しくなるのは必然なのでしょうか。